《こっそりと、逸韻(逸志)》
わたしは醜いものを眺めながら、そこに美しいものを見る。
はるかわが家を離れていながら、故郷の友たちに会う。
うるさい音を聞きながら、その中にコマドリの歌を聞く。
人込みの中にいても、感じるのは山の静けさだ。
悲しみの冬の中にいて、思い出すのは悦びの夏。
孤独の夜にあって、感謝の昼を生きる。
けれど悲しみが毛布のように広がり、もうそれしか見えなくなると
どこか高いところへ目をやって
胸の奥深くに宿るものの影を見つける。
[ナンシー・ウッド(金関寿夫訳)]
《こっそりと、近況》
先日、大阪ミナミの街へと赴いた。
あの信じ難い、痛ましい事件がどうにも頭を離れず、忘却という現代人に顕著な「処理」もしたくなかった。
仕事仲間(元新聞社記者)が取材の為に現地に向かうということを伝え聞き、自らの仕事を二の次にし、同行を願い出たのだった。彼もまた物書きとして複雑な思いに駆られていたので、「心強い」と言ってくれた。
現地で合流し、昼食をとりながら彼の取材コンセプトとアプローチを確認。事件があった現場に向かうと、先ずは花を手向け、手を合わせた。
何度もカメラやマイクを向けられた近隣の方々や目撃者には同じ言葉(想い)を繰り返させたくはなかったので、取材対象は、初めて発言する方が主体。多くを語りたくない方、堰を切ったように話し出す方、様々だった。改めて惨状が浮き彫りにされた。
原稿執筆の資料としての撮影をするのみで、彼がデジカメを持参していたので、私がカメラマンを申し出、彼は取材に専念した。
写真は闇雲に撮らなかった。双方の意見一致の上で、初めてシャッターを押した。
事件の生々しさを伝える痕跡があった。
「どうする?」と尋ねると、彼は「いや、(写真は)必要ない。心にしっかりと記憶しておく」と応えた。
私も同じ想いだった。
それから、我々は街の雰囲気、空気、「普段」を体感すべく、ミナミ一帯を歩き廻った。
夕方に取材をいったん切り上げ、彼が宿泊する宿で一休みした。
と言っても、観光で来た訳ではないから、缶ビールで乾杯なんてこともない。
先方の了承を得た上での取材時の録音を再生。
目撃者の話はあまりにも生々しい。
人々が「トラウマになりそう」と口にしている。子供達の心のケアも必要になる、と。
三世代がひとつ屋根の下で暮らすことも珍しくなってしまった今日の日本の暮らしぶりにおいては、死は身近に存在するものではなくなり、病院のベッドで看取るか、結果としてその報を受けるものになりつつある。
が、今度の事件で犠牲になられたお二人は何れも夥しい流血の上での街頭での死。
映画の世界でしか有り得ないような悲惨な光景が身近で白昼に起きてしまった現実。
人々の声を聞いている内に、実際に相対している時には堪えていた心の震えが、我々の目から溢れ出ていた。
本当に痛ましい事件だ。
全く不意に断ち切られた二人の人間の生の時間。
交通事故の場合、こちらが注意深くあれば回避出来る場合もあろう。
が、凶器を手にした、尋常ではない目付きの人間がいきなり眼前に現れたり、更には背後から襲われたりしたら、薄い衣服と皮膚だけに覆われた存在に過ぎない、格闘家でもない弱き存在はどう抵抗出来るというのだろう。
野性動物は、食べている時でも眠っている時でも、いつ襲われるかもしれないという「気配」を察する能力を常に携えながら生きているから、危機回避本能を瞬発的に現せるが、他の動物達とは全く異なる暮らしぶりを選び、進化していった人間の場合はそうはいかない。
ましてや、自然の中(未開の地)ではなく、都市生活の只中である。
何という理不尽な出来事であろう。
職も家もない男。残りの持ち金が20万円で絶望したというが、若かりし頃にお金で苦心した身からすると、20万円もあれば(人様に迷惑をかけずに)どん底から這い上がることは全く不可能なことではない。過去に、そんな人間は幾らだっているし、今現在だってそうだと思う。甘え先行の身勝手な生き方が、一生陽の目を見ない、究極の「タダ飯喰らい」を選んだとしたなら、たまたま居合わせただけでその気儘八百に付き合わされ犠牲になったお二人の命があまりにも痛ましい。
大切に使えばやがては実りを得たはずの20万円。なのに、娑婆塞ぎが最後にした買い物が凶行に及ぶものとは…。
男が購入したのは百貨店でということだが、以前、100円ショップで様々なタイプの包丁がズラリと並んでいるのを見て、とても驚いた。果物ナイフの類いは予測していたが、刃渡り何十センチもの包丁が1コインで手軽に購入出来る暮らし及びその国ははたして本当に豊かと言えるのか。金物屋での購入であれば、店の主人が不審人物を察知し、凶行の抑止に繋がる場合もあるかもしれない。が、100円ショップで他の生活雑貨や飲食物と共に購入されれば、レジ担当者は他の多くの客相手同様にテキパキと自分の務めを果たすに留まるであろう。
自衛の為の銃所持が許される国でいえば、許可証抜きに銃が安売りされているのと同じ。
何処の商店街にもあるコンビニエンス(使い勝手)な店で、人を殺傷可能な生活用品が安価で手軽に入手出来るという現実。
何が起きるか判らない不確かな今日の日常の中で、省みるべき点なのかもしれない。
簡便さは本当に豊かさへと繋がるものなのか、と。
個人経営の専門店がどの町からも消えていく時流の中、我々の暮らし向きにかつては当たり前にあった「温度」と「湿度」、私のブログ名にもある「情感」は何処へ追いやられようとしているのか。
私同様、それらを愛おしいと思う仕事仲間とは宿で別れ、私は東京へ向かう新幹線に乗った。
1964年に初めて開業した東海道新幹線は東京・新大阪間を約3時間で結んだ。今は更に短い。
移動時間の短縮こそがコンビニエンスの最たるもの(こと)かもしれない。
その「恩恵」で、二の次にしてしまった本来の仕事にすぐに着手可能となる。
車輌内にいる間に、持参して来た仕事資料諸々を読まなければならなかったのだが、私の気持ちはどうしても東京へと向かえずにいた。同じ日の午後に目にした光景や人々の表情、声が頭から離れられない。
東京駅に着いた時も、私の目は赤いままだった。
その夜はそのまま仕事先に直行。自宅に帰ったのは翌日の早朝5時前だったろうか。
何も考えずに、海よりも深い眠りに就いた。我ながら無茶をしたものだ。少しは己れの年齢を自覚しろと言うものだ。
宿で別れた仕事仲間は、その夜にも取材を続け、翌日には(躊躇いつつも)被害にあわれた御二方周辺をあたった。が、他のメディア関係者のように、(数日前まで普通に暮らしていた)遺族を取り巻くことはなかったと言う。
尊い命を突然終えた御二方に対して「安らかに」なんてとても言えない。
「何で!?」という思いのまま、成仏出来ずにいるに違いない。
我々が出来ることと言えば、御二方の犠牲を他人事と思わず、もう一度問い質してみること。
この国は本当に平穏無事か。
そして、我々の暮らし向きは本当に豊かなのか。
それから、我々の精神は本当に健全なのか。
子供達の未来にも通じている問いである。
この事件を他人事として「消化」してはいけない。
今後、誰の日常にも起こり得る現実なのだ。
傷みを無駄にすまい。それを自身のものとして確と生きていこう。
《この時期(6月後半)のプレイバック》
☆彼の人に心の花束を[2009年6月16日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10105926c.html
☆ROLLING TIDE[2009年6月17日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10106289c.html
☆PLEASE LEAVE THE DOOR OPEN[2010年6月20日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10255250c.html
☆RAMBLING WAY~LET`S GET BACK TO THE SUBJECT~[2009年6月23日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10108445c.html
☆INSPIRATION[2010年6月23日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10256730c.html
☆TO THEIR GREAT INTERPLAY![2010年6月25日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10257751c.html
☆RIGHT STUFF, LIGHT STUFF[2009年6月26日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10109478c.html
☆御眼鏡に適えども、己が「妻がね」は未だ得ず[2010年6月26日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10258248c.html
☆THAT`S THE STYLE![2009年6月29日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10110484c.html
☆LOVE IS NOT THINKING, BUT BEING[2010年6月29日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10259306c.html
《11月後半のプレイバック》
☆続・あらかじめ失われた恋人たちよ[2010年11月16日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10321857c.html
☆TO HAVE AND HAVE NOT[2010年11月19日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10323456c.html
☆ボギーと私がこよなく愛する女性の自伝[2008年11月22日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10054143c.html
☆秋の幽趣(しじま)の夜長、遺るもの、消えるもの、生まれ変わるもの、靜かに去るものについて[2009年11月22日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10163073c.html
☆ON THE ROAD[2010年11月23日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10325624c.html
☆名画座の如き香りの老舗古書店『東京書房』[2008年11月25日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/page.asp?idx=1000001060&post_idx_sel=10054683
☆鈴掛の径の小樽、朔風の中の花火[2008年11月27日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10055233c.html
☆11月に降る雨に濡れる人を想う[2009年11月30日付]
http://jiyugaoka.areablog.jp/blog/1000001060/p10166085c.html
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