そうして、年月は幾分進んだ。
この8月、「逢いたい」との連絡を受け、有能なエディターだった友人と久々に酒を酌み交わした。
「二人目が年末に生まれるんだ」と彼。
聞いた途端、素直に喜び、「おめでとう」と声をかけた。
が、彼は浮かない表情を見せる。
「それがな…、あの野郎ときたら、どうやら浮気をしているらしいんだ」
話を聞いてびっくり。その浮気相手とは、彼の娘の前に付き合っていた同じ勤め先の同僚。言わば「元カノ」とヨリを戻したといったところ。そうなると、何だか、彼の娘と関係を持ったこともはたして本気だったのか怪しいものに思われてきた。
妻の妊娠中の浮気自体、全く赦せない。
「殴り倒してイイぞ」と、私もこれまでの人生で口にしたことのない台詞を思わず吐いていた。
怒りが込み上げてきた。
「で、娘さんは?」と尋ねると、これまでの長い付き合いでそんな姿を一度も見せたことのない男が、大粒の涙を零し始めた。
「『私は大丈夫だから、心配しないで』なんて笑いやがるんだ…」
やっとでそう口にした友人の言葉に、私も胸が詰まった。もう何も言えなくなってしまった。
彼と細君が一身に愛情を注ぎ、人格的にも立派に育ったまだ20代前半の女性。
彼女もまた両親を心から愛してきた。門限を破ったことはないし、異性関係で嘘をつくようなこともなかったと言う。それは、あのBARデビューの夜に私も本人から聞かされた。真実だと思う。
彼女の夢。そして、その父親の夢。
それは、一人の男の業により、叶わぬ夢となって消えていった。
娘の人生ばかりでなく、その父親の人生も方向転換を余儀なくされた。
友人は、細君と学生時代に出逢い、付き合い始めた。
「社会に出るまではプラトニックな関係のままを保った、必死にね」と振り返る友人。
就職して1年後に彼女の両親に挨拶に赴いた。
勿論、「結婚」を口にするにはまだ早い。「学生時代からお付き合いさせていただいています」とだけ。
電話口に何度も出ていたから、父親も母親も察しがついてはいたようだ。
それから更に2年後の20代半ば、彼は再び挨拶に赴いた。
「結婚させて下さい」と初めて意思表示をした。
が、彼女の厳格な父親は、「まだ早い!」と一言だけ告げて、座を辞したと言う。
友人が結婚を許されたのは更に2年後のこと。彼が再び父親に挨拶した時には既に両家の親同士で式までの段取りまでついていて、「面食らった」と言う。
その2年前に友人が初めて口にした「結婚」の言葉。それを直に耳にした彼女の父親は、その翌日には友人の両親を訪ねていたのだという。
「いつの間にか、4人が親密な間柄になっていたの」とその細君も顧みた。
そんな年月、大人達の豊かな人間関係を経てこの世に生を受けた存在こそが、友人の一人娘だった。
「カミさんの父親とは、亡くなるまで、実の親子以上の仲だった」と友人は顧みる。「サケも二人で良く飲んだ」
そして、こう続けた。「ヤツとは無理だろうな」
友人も私も、大人の男の背中を見たり、デート相手の父親と電話口で対峙してきて、「男」を学んできた世代。
我々の「優しさ」とはそのようにして培われ、熟成してきた。
「何が、日本の男をダメにしたのだろう」と友人。
数年前のクリスマス・シーズンに旅立っていった、我々の仲間の病床での涙ながらの言葉が蘇ってきた。
「俺達(の世代)の責任なのか?」と、既に己れの死を悟っていた友人は私に尋ねた。
私は、いまだ、その問いに応えてはいない。
平成17年秋に生涯を終えた私の父。青春は死と隣り合わせの戦中。戦後の混乱の中、他の数多のこの国の男達同様に必死に働き、やがて家庭を持った。高度経済成長期も家族の為に働き続けた。
今日の我々の暮らし向きとは、そういった男達の背中の礎の上にある。
少なくとも、私や前述の仕事仲間達はそれを意識して生きてきた。
父の葬儀まで、私は父の遺体のある部屋で寝ずの番を務めた。
毛布に包まいながら、今はもの言わぬ父と涙ながらに随分と語らいあった。
親不孝を色々と詫びたが、孫の存在を見せられなかったことが一番辛かった。
苦難の人生を生きた昭和男が老境に、孫を抱えて見せるひたすらな笑顔。見てみたかった。記憶する父の姿はそのようでありたかった。
若かりし頃の私が関係を持った女のコが、その後、私の子供を実は密かに育て上げていた、なんてとんでもない想像をしてみる。もしかしたら、既に孫という存在もいるかもしれない。
その一家がいきなり目の前に現れたら腰を抜かすだろうな。笑い事じゃ済まなくなる。
そんな想像をしてみたが、私の場合、100%有り得ない。
結果的に、女のコ達とは何れも別離し、今日に至っている訳だが、想像が伴う「優しさ」はいつも持ち合わせていた。
急展開となり、逸る気持ちを抑えて、慌てて避妊具を求めに駆け出した夜もあったように思う。
「今思えば不便なこともあったろうが、イイ時代だったよな」と、一人娘のこれからを案じる友人。
「いや…、不便と感じたことはなかったな」と応えると、「そこ、そこなんだよ」と友人。
電話口で先方の父親に相対することも、待ち合わせで延々と待つことも、ちっとも不自然ではなかった。社会生活をする者として当然。我々若輩はその中で学びを得、人間としての優しさを体得していったのだった。
その実感が確かにある。今も我々の血肉として在る。
我々の世代にも、今日言うところの「デキ婚」はあったことだろう。その後幸福に暮らし続けている方達のことをとやかく言う気は更々ない。大変な思いもあったろうと思う。
だが、今日の「デキ婚」現象には一言口にしたい。
「何か間違っていませんか?」と。「何か欠けていませんか?」と。
友人家族に起きたことに激しい憤りを覚える。
勿論、娘さんにも非を求めることは出来る。
だが、彼女のこれまでと人柄を知っている身としてはどうにも理不尽に思えて仕方がない。
我々大人達は彼女を守ってやれなかった。
そして、その結婚相手になった男には、私や友人が同じ年頃に供わっていたものが明らかに欠落していた。
「humanity」。
いつだったか、そんなテーマで仕事仲間達と延々と語らった夜がある。
師走に二人目の孫を得る友人、何年か前の師走に逝ってしまった友人、今年の師走も間違いなく独りで迎えるであろう男もいた。
皆、まだ20代だった。
若かった。
が、理想を持って生きていた。
友が友の顔を磨く時代に生きていた。
日本の男の美学を継承していたと自負している。
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