([2]より)
この世には「YES」か「NO」(「1」か「0」)では判断(選択)出来ないことの方が遥かに多いはずなのに、今日の情報化社会において、自らも発信する立場に変容した我々は人間存在としての意味と価値ある過程(「想像」や「思考」)を省いて、答(結果)を早急に求めたり出したりせずにいられない性分に成り下がってしまった。
安易に視覚に訴えかける特別誂え(刺激)に対して「泣ける=感動する」己れの姿に安堵するばかりで、「癒し」や「勇気」を注入することで一時的に満たされては、自力でしか経験出来ない過程(「想像」や「思考」)の質量に意味も価値も求めなくなりつつある。
行間を読んだり、感得したり、感応したりよりも、簡便さを介在させては(より「直接的」だと見紛い)その容易に得た「答」にどっぷりと依存する。
物質文明に生きる我々現代人がいつの間にか逸してしまったもの(精神性)は大きい。
以前、ある詩人がTVで発言していた。
今は「美しい」と言葉に出来なくなってしまった時代だ、と。
「説明の時代」なのだ、と。
「見て、感じて、聴き入って、考える」ということが蔑ろにされている時代である。
人々は、ケータイのカメラに取り込むことだけに躍起になっている。ちっとも自分の中には取り込んでいやしないのに、それで、「見て、感じて、聴き入って、考えた」と思い込んでいる。
味気無い時代だ。
本当は「美しい」と言える(心で愛でる)ことこそが素敵なのに、簡便グッズを携帯することにより、その瞬間にそう発しなくなってしまった。
後から誰かにその写真を見せて、説明し、同意を求めることにばかり感けている。
そうやって、「見て、感じて、聴き入って、考える」力を退化させてしまっているのだ。
生きているこの今を「美しい」と言える感性こそかけがえのないものなのに。
我々は「美しい」と言えなくなってしまった。
震災後は、(自らが生産に携わらなくても)「食」に不自由しなくて済む有り難さを改めて実感し、より慎み深く、感謝の気持ちを忘れない食事を心掛けた。
GW明け、再び東京での生活に戻ると、仕事の打ち合わせ等で昼食や夕食を何度か外で取った。
とりわけ「オシャレ」と形容されるところの飲食店で相も変わらずに目にするのが、食卓にケータイやデジカメを置く女性達。
主菜や副菜やデザートが運ばれる度に、彼女達は(箸やフォークやスプーンよりも先に)食卓にはおよそ不向きで不要であるコンパクトな敷き写し(模写)装置を無造作に手にして、目の前にサーヴされたもの(の外見)を自分の分身に収めることを優先順位とする。
無作法という意識も特写の感覚も既になく、彼女達にとっては既に当たり前の常道。
あれは果たして、人様の場所にお邪魔し、人様が拵え調えた(調理した)飲食物を公共の場でいただく者の礼儀作法に適した振る舞いと言えるのだろうか。
そして、人間(現実の他者と)の真っ当なコミュニケーションが成り立っていると言えるのだろうか。
「とても素敵なので、是非ブログに紹介させて下さい。食事の場で無作法ではありますが、写真を撮らせてもらえませんか」くらいの精神性は保てないものなのか(ブログのアドレスを記した専用名刺を用意しておくと、より自身の品性を保持出来るし、人様やその仕事について公で表現することの責任の重さを認識出来るだろう)。
そういった、社会的な人間としてのマナー(言動)を億劫がり、ぞんざいにし、省くようになる程に、美しさから距離を置く所業はないというのに。
人様に誂っていただいた振る舞い(創造及びその実り)に対して、貴女の行為はそれに見合った振る舞い(品行)に値するのか。
それを(理無しの)ネット上の「自己表現」と簡易(安易)に化すことよりも、目の前の一皿についての様々な恩恵(御陰様)を心から有り難く思い、感謝しつつ、味わい、一期一会として記憶することこそが貴女の美しい「自己表現」たる「感応」、かけがえのない「生」そのものではあるまいか。
前述の写真集に確と現れている「人間らしさ」であり、「人間の営みへの思いやり」ではあるまいか。
各々の不断の努力(営み)無しに文化は生じない。
人様のそれを感じられる心持ちこそ常に携えていれば、公共の場で不遜な振る舞いに出ることを躊躇う。
食事処然り。インターネット内然り。
オフの著名人に対して(理無しに)無言でケータイやデジカメを向ける失敬千万然り。
簡便なものを携えることにより、自身が頑冥不霊になってしまっては本末転倒。隠然たる退化とは言えまいか。
貴方自身の生命の「表現」は、実は、もっともっと豊かで確かなものとなりうるのではないか。
何か、大切なものを蔑ろにした果てに、逸してしまってはいないだろうか。
私は、時代に抗うように、インターネットでの文章表現に距離を置くことにした。
精神の健康状態は頗る佳い(この豁然開朗の境地の心地良さ、「生きている」だけでなく「生かされている」ことの実感。「机上の人」ではなく、「橋上の人」として、私自身の眼差しで辺りを見回し、私自身の心で実感し、私自身の頭で状況を判断して、歩むべき方向を見定められることの確かさ)。
4月からGW明けにかけてあちこち動き廻り、帰宅してからも原稿書きに追われていた(ついでに言ってしまえば、ある朝突然、生まれて初めての「ぎっくり腰」に見舞われ、暫くの間、何も出来なかったりもした)。
従って、ブログ更新に背を向けた以後の宿望のひとつ、自作小説執筆のリスタートにはまだ至ってはいない。
ライティング・デスクや卓に向き合う時間が限られていたので、手書きによる手紙も数通のみ。自宅ストック数多の未使用ポストカードは(被災地へ向かう際も含め)鞄の中に多めに携持しているので、今日の私という人間を形作って下さった年輩諸氏宛主体に、ちょっとした時間を見つけては一筆認めて投函している。
何日かぶりに帰宅してみると、その御返事があちこちから届けられていたりする。中には便箋何枚にも渡る封書も。
肉筆の温もり。「(笑)」不在の、決して億劫がらない、昔ながらの日本人の丁重な文体、美しい日本語。
「(この世界に)戻ってみて、良かった」としみじみ実感する。
昭和20年代半ば生まれのあるシネマディクトがこう語っていた。「アナログ人間にとって言葉というものは、常にはがゆく、やるせない」。
だからこそ、尚更、アナログ人間は(人様に発する)言葉を慎重に選び、尚且つ愛おしむのである。
質量(ニュアンス)を携えてこその言葉と表現だ。
一方のインターネットでは、年齢の垣根を取っ払った、浅薄でフランク(明け透け)な私意及び恣意が大手を振るい続ける。障壁の存在しない自由気取りもて、相も変わらずに成熟を意識出来ない、何とも不束な風潮が公然と罷り通る。
未熟な「個的隊」による「自由」の横暴さ、貧弱さ、惰弱さ。その趨勢に言い知れぬ不安を覚える。
時の人や人様の創作を(醜い言い回しもて)上から目線でコキ下ろす「感想」が我が物顔でのさばっている。人の心情や創作深意に確と「感応」する以前に、クレームをつけたり、ダメ出しをしてみせては自己満足を得ようとする野蛮人や野暮の何と多いことか。
かつての、「権力」や「不正」に向けられていた若輩の「反骨精神」は心に届く(響く)ものがあったが、今日のネット上における個人へのバッシングや人様の創作表現への(読むも恥ずかしい)拙い「評」とやらは、実に私的な、その場限りの「不満の消費」でしかない(彼等はこの稚拙な愚行をいったいいつまで続けるのか。また、成熟の存在であるはずの我々大人達は「本来の務め」を放棄し続けるのか。そして、人間一人一人や創作ひとつひとつの豊かさを蔑ろにしていくのか)。
特に、今日の私を育んでくれた映画文化に対する未熟者のペン(キーボード)の暴力には心底辟易している。
人様の手による作品を自らが選択しておきながら、楽しんだり、学んだり出来ないのだ。自分の「欠落」は棚に上げっ放し。何と、哀しい人生(の費やし方)なのだろう。
未熟な私見と現代的視点のみで、往年の名作を(公の場で)蔑む不遜は実に賎しいし、赦し難い。映画人のみならず、心から作品やスターを愛おしんだ先人の生(辛苦を含む喜怒哀楽)に対する冒涜でもある。
インターネット上で文章表現することに(世間程には)魅力や意味を既に感じてはいないが、二つの映画サイトの「FILM LIBRARY」の作品だけは、少しずつでも(時間をかけて)増やしていきたいと思っているし、既に収録している作品の紹介文章(本来の意味合いの「感想」)も、字数制限の中で改稿していきたいと思っている。
感応が伴わない人生の時間の費やし方に流される次の世代に、映画を人生の友や糧としてきた(真っ当な)人間の精神を引き継いでいただく為にも。
GW明けに東京での生活をリスタートさせて、震災以来初めて自宅で音楽(CD)を聴いた。
最初に聴く一曲は、帰途に決めていた。
MPBとジャズの橋渡し役を果たしてもいるブラジルのアーティスト、ミルトン・ナシメント(1942~)の名曲“TRAVESSIA”(英題“BRIDGES”)。
東北の被災地と被災された人々と復興に向かう人々の姿にしっかりと向き合って、感応していく中、この曲を繰り返ししみじみ聴き入りたいと思った。
この名曲は様々なアーティストがカヴァーしているが、ナシメント自身が英語ヴァージョンでも歌ってくれているので、機会あらばこの美しい曲に聴き入ってみて欲しい(オリジナルのポルトガル語と英語とでは歌詞の内容が若干異なるのだが)。
私の人生が10年後もあるかは判らない。
20年はちょっと難しそうだ。
とにもかくにも(自らが選択した)この孤独な人生をこれからも生き抜いていく。
この度の震災経験で、今後(残り)の人生の時間をどのように費やしていくか、ある程度定まった。
それに意識を寄せる時、とても豊かな精神状態に包まれる。
益々、限りある生の一時一時を愛おしみたいと思っている。
あの美しい三陸海岸とそこに息づく人々の暮らし。そして、少しだけ体感出来た東北のジャズ(喫茶)文化。
再興を願い、私もまた寄り添っていこうと思う。
長い道程だ。
でも、背は向けないし、この国に突き付けられた現実から逃げない。
名を持つ一人一人の息遣いと温もりを実感し、私自身に確と記憶させているから。
GW明け、美しく再生した自由が丘駅前(女神像広場)を、青空の下で、漸く目の当たりにした。
以前よりもグッと近しい存在となった女神像の前で彼女を仰ぎ見た時、胸と目頭が熱くなった。
そして、記憶に新しい被災地のいつかの再びの豊饒を思った。
きっと再生出来る。
そうしてみせる。
私は気持ちを離さない。
「癒し」にも「明るく元気に」にも待避することなく、真っ当に向き合う。
向き合うだけの強さと優しさを自分の中で育み、維持し、日々を確かに生き抜いていく。
これで、ネット上における私の切言は終わりとする。
過去の記事を含め、「何か」を感じ取って、考えるきっかけになってくれたら嬉しい。
時代を見据え、流されず、防波堤にもなり、拱手傍観よりも空の手を差し延べようとす。
この国のそんな誇り高き男のままでいたい。
誕生日に、様々を感謝しつつ。
かつて、「途夢待人」と名乗ったこの国の大人の男として。
☆【ONE FROM THE HEART】:「20th century FILM LIBRARY」
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=ofth
★【銀幕に想いを…】:「FILM★LIBRARY」&映画日記「THE WAY WE WAS」
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=yumex
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