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はるかな
はるかな
薄明の国から
なにかがながれてきた
はるかな
はるかな
薄明の国から
日本の朝の渚に
椰子の実がながれてきた
みどりの藻珠(もだま)がながれてきた
ゆたかな夢と
かなしい祈りと
雄雄しい志をもつ
あたらしい生命(いのち)がながれてきた
あれはまぼろしの道
海の上の水あさぎの道
青年よ
生活の油滴をうかべた
朝の岸辺に立って
むかしのむかしの
あの冒険をふりかえれ
[丸山豊『海上の道』より、「朝の渚」]
☆
3月11日以降、ひたすら「待つ」ことを強いられた。
TV画面やPC画面で情報を求めて待ち、電話機を握り締めてリダイヤルしては回線の回復や声を待った。
勿論、その間も仕事を熟していた訳なのだが、基本的にはその繰り返しの日々だった。
自分では相当に我慢強い方だと思ってきたが(携帯電話が存在していない頃のデートで2時間待つことだって苦にはならなかった)、心身共に憔悴した3週間でもあった。
1週間か10日程経過した頃、イライラと疲労が募り、気晴らしに、玄関の(備え付けの)靴箱の上のスペースを大幅にイメージ・チェンジした。
前々からアート・スペースとし、ヴィジュアル本やLPジャケットやポストカードや(保存シートに移し替えた)ワイン・ラベルなんかを飾っていたのだが、段々ゴチャゴチャしてきて、お客様を迎え入れるには見苦しいと思っていたのだ。
そこで思い付いたのが、クローゼットで保管し切れなくなった帽子(ハット)の「第2保管スペース」も兼ねる案だった。
帽子(ハット)好きが頭を悩ますのが、その保管法。
ドン小西氏辺りになると、壁面一面に(フックで)ズラリと引っ掛けて、それを眺めているだけでも幸福な時間が過ごせることと思うが、我々庶民のお洒落好きにはその手法はなかなか難しい。
そこで、一昨年辺りから利用し出したのが、自由が丘の『ヴィレッジヴァンガード』(書籍&雑貨)で目にした安物の組み立てラック。
どういうものかと言うと、以前(2009年秋)、玄関に使っているものを紹介していた(3枚目の写真)。
自由が丘の『ヴィノスやまざき』で、お馴染みのスペイン産スパークリング・ワイン「カヴァ・アルテラティーノ・ブリュット」(ハウメ・セラ)を6本まとめ買いしたことがあるのだけど(通常も1本1,180円という安さなのだが、この時は6本で送料無料の5,500円だった)、その後ろにあるラックが同じタイプのものだ。
色合いが室内には似つかわしくなかったので、履く頻度が高いシューズを時期毎に上段に置き、中段と下段を(傘立てならぬ)「傘寝かせ」にして、利用している。
木目の色合いが良く、もう少ししっかりした作りのタイプのラックは室内のクローゼット脇に備え、主に帽子置場(列べ場)としていた次第だ。
自由が丘に帽子専門店『ALBION HAT』が出来てからは帽子(ハット)の数が増える一方。
仕方なく、型崩れの影響がないものを組み合わせ、2点か3点、重ね置きをしていたのだが、それも限界。
このラックの大きさが玄関の靴箱上のスペースにジャスト・フィットすることに気づき、スタッキングして「第2帽子置場」にしようと、2セット新たに購入したのが昨年12月30日。
年末の慌ただしい時期だったので、組み立てるどころか開封することもなく、最近まで玄関に起きっ放しだったのである(つまり、その間、ゴチャゴチャしている靴箱上スペースにプラスして更にゴチャゴチャしていた訳である)。
先月、漸く組み立てて、帽子を中心にラックに並べてみた。
その一部が、2枚目の写真。
映っている帽子2点は、何れも昨年に『ALBION HAT』で購入したものだ。
見て判る通り、夏用。
クローゼット脇にシーズン・オンのアイテム、この靴箱上にはシーズン・オフのアイテムを、と思っているので、落ち着いて余裕が出来たら、冬物をこちらに置き、これからの季節のものはクローゼット脇に移動するつもりだ。
LPジャケットを飾れるパネルにあるのは、このブログでもお馴染みのソニー・クラーク『COOL STRUTTIN'』。出かける直前にこのジャケットを眺めると、こちらもクールにストラッティンしたい心持ちになる(頭の中でファンキーな旋律が鳴り出す)。
LPジャケットも折々にチェンジしていく。
帽子の下の狭い段(ラック連結部分)に並べているのは、折り畳み傘。
通常の傘も折り畳み傘も、一人暮らしの男には多すぎるのかもしれない。が、ファッションのコーディネートに合わせるし、使い捨てのビニール傘は(浪費的だし処分に困る為)利用しないので、どうしても(いつの間にか)増えてしまう(8割方がマリクレール通りのあのお馴染みの小さな傘店で購入)。
月初めに毎月紹介している、わたせせいぞうさんの卓上カレンダーも玄関のこのスペースを定位置にすることにした(1枚目の写真)。
4月の作品は、『ハートカクテル』の「東西の仲のよい関係(1978~1979)」(Vol.211)の1シーン。
わたせせいぞうさんの卓上カレンダーはもう随分前から利用しているが、4月はたいてい桜をイメージした華やかな作品。
4月にこのトーン(色合い)は珍しい気がする。
傍らに、私のお気に入りの「春4月」ヴァージョンの一枚を添えてみた。
今年は、満開の桜の木の下で愛でる気分にはなれないので、このポストカードの力を借りて、楽しかった花見の思い出の記憶を辿ってみようと思う。
4月となり、報道では、様々な事象が新しい装いとなっているようだ。
私が依頼されている仕事の内容にもそれを感じる。
直接は震災の被害を受けていない地に暮らす方達のネット上の記述には、「前向きに」や「いつもの生活」や「いつもの私らしく」といった言い回しを多々目にする。御本人の精神の安定の為にはそれは充分に的を得た考え方なのだと思う。
それを踏まえた上で言わせてもらえば、私見としては、遠く離れた我々もまた同じ日本人の現実に決して目を背けることなく、想像力を豊かにし、普通の日常を過ごしつつ、我々こそがタフな精神力を備え、傷みを分かち合い、気持ちを共有していたい。
「通常の生活に戻って楽しく過ごしています」なんて(何事もなかったかのように)あからさまに公に著される程に、肉親の安否がいまだ判らぬ身は複雑な想いに駆られてしまう。「取り残され感」とでも言おうか。間接的な被災者の私がそう感じるのだから、実際に被災され、多くを一時に失い、困難な日々を送っている方々のその「取り残され感」たるや相当にヘヴィなものだろう。
眼差しと想像を切り捨てることが「前向き」のはずがあろうか。
今はまだ気持ちを離してはいけない。
普通の生活を心掛けつつ、変わらずに想いを馳せ(寄せ)続けたり、支援や復興の為にアクトしようとする志を育てる時期だ。
3週間前のあの日以降、TV画面に見入っては、知らず知らずに涙を流す毎日だった。
私の(母の)ことでそうなるのではない。
他者の深い哀しみ、東北人の素朴さ、世の為、人の為に懸命に働く人々。それらの尊さや美しさに接し、声を出さずに、涙していた。
また、その間々に伝え聞く、人間の醜さや(恵まれた環境にある)都会人の傲慢さにも涙を抑え切れなかった。
我々庶民が今為すべきことは、「募金」や「節電」の他にも、「心の現れ」として確とあるのではないか。
オシャレなレストランでフルコース料理を食べることは大変結構。西日本や東京の人間が大いに消費し、世の経済を活性化することは復興にも結び付いていく。選択肢が幾つもある都会人なりの支援とも言える。
しかしだ。それをこの時分に、わざわざ御丁寧に料理の皿全ての写真をいちいち公に曝すこともあるまい。アタシの「フツー」や「ニチジョー」に戻る為に、様々な事象(自然の恩恵や提供してくれる存在や生き存えていること)に感謝しつつ、「美味しくいただきました」で充分ではないか。提供(店)側やメディアがやっていることを、ジャーナリストでも評論家でもない、「我々」と共に在る(歩む)べき貴方が今この時点で為す必然性がどこにあるというのか。
困難な避難所生活をしている方々の食(貧しさ)、母のような自宅避難者の食(餓え)に想い傾けていたら、私にはとてもそんな「表現」は公で出来やしない。
日常のもっとささやかな喜び、家族の絆や愛する人と過ごす時間に感じ入ること、それを慎ましく真摯に著すことこそが今(これから)の我々の「普通」であり「日常」の尊さ(気づき)と言えるのではないか。
直接被災していない者がどんな日常の過ごし方をしようが自由だ。だが、それをどう公(ネット)に著すかは本人の「心の現れ=人間性」いかんなのだと思う。
心は繋がったまま、より優しく、より強く在ろうではないか。
じゃないと、被災者を支える力は(それなりに思ったし、やったという)自己満足留まりと化してしまう。
「我々」が人様(公)に著すとはどういうことなのか、省みる良い機会でもあるのかもしれない。
一般の方々には、メディアが踏み込めないような、日常のささやかな想い(喜び)をこそ、(自身の誇り高き生の一瞬一瞬の為にも)綴っていて欲しい(社会に在る者としての意識を持ち合わせつつ)。
数年前から携帯電話にブックマークしている著名人(都内在住女性)のブログがある。彼女は多忙な中でもほぼ毎日記事を更新していたのだが、大震災以降、二度しか更新していない。その二度とも、被災された方に真摯に想いを寄せたものだ。前々から心豊かな女性だと思っていたが、徒らな更新を控え続ける彼女の豊かさが胸に染み入る。次に更新する際にはどんな想いが綴られるのだろうと思う。
間が置かれた更新に、何だか、理性と謙虚さを携えた生身の人間と言葉以上に触れ合っている気がしてくる。
書物の行間に魅せられるように。
2000年1月17日にHPをネット上に著した際、私は「HUMAN RENAISSANCE(ヒューマン・ルネッサンス)」という言い回しを掲げ、その後も何度も用いた。
つまり、「人間(性)復興」である。
日本人にとって、今この時がその時なのかもしれないとも思う。
特に、若い方達には、確かな眼差しと豊かな想像力、ピュアな「WILL(意志・決意)」を携えて、このかけがえのない日常(現実世界)の中を生き、切り拓いて欲しいと願う。
若い方達にエールを送る意味で、私が小樽の高校時代に出遭ったロマン溢れる詩2篇をこの記事の冒頭と最後に添えておく。
福岡県久留米の詩人の想い、及び北国育ちの私の想いが、机上とケータイに留まり続けるこの時代の数多の青年達の心にも共鳴し、伝わることを願う。
何度でも繰り返すが、今が「その時」なのだと思う。
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(荒廃の岸辺
荒廃のうれいのふかさ)
おお眼をあげよ
沖は紺青
心でたぐる
まぼろしの道
無限のはるけさへつづく
海上の道よ
海の旅人
ひりひりと潮にやけた
全裸の旅人
そのとき若者が
たしかに若者であった証し
そのとき人間が
たしかに人間であった証し
(荒廃の岸辺に立って
荒廃の心をすてよ)
おお眼をあげよ
沖は紺青
全裸の神神
あの冒険をとりもどせ
初心の世界をとりもどせ
おお青い永遠をとりかえせ
[丸山豊『海上の道』より、「沖は紺青」]
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