山口瞳さん(1926~95)は、中高年の昭和世代、特に高度経済成長期の酒好き男達には特別な存在の「文化人」ではなかったかと思う。
私は、山口瞳さんの魅力を知るには遅れてきた世代だったが、BAR文化に魅了され、その奥深さを知る(吸収する)につれ、自ずと山口瞳という存在と関わることになっていった。
直木賞を受賞した文筆家ではあるが、私の場合はその人間味やエピソードに魅かれ、小説は受賞作『江分利満氏の優雅な生活』(1963)を含めた数作のみしか読んでおらず、専らエッセイばかり。
まだまだ読んでないエッセイがあるし、酒飲み初めの若い時分に読んだものもまた読み返してみたいと思っている。
図書館の書架で嬉しい一冊を見つけた。
『山口瞳の行きつけの店』(ランダムハウス講談社)。
4年前(2007年4月)に発行され、気になっていたが、タイミングを逸していた。
著者の山口正介さん(1950~)は、山口瞳さんの御子息で、同じく著述家。若い時分には演劇にも携わり、小説やエッセイの他、映画評論も手掛けられている(本書は10冊目の単行本)。
山口瞳さんの「行きつけの店」(そのまま書名ともなっている)を息子さんの正介さんが訪ね、紹介していくという形を取っている(『日刊ゲンダイ』における週一回千字で半年間の連載を、単行本化にあたり、大幅に加筆肉付けしたもの)。
とは言っても、著者御本人が全く足を運んでない店は登場せず、何れも正介さんが御父上瞳さんに連れて行かれ、御自身でも気に入られている店ばかり。
だから、人様からの飲食代、要するに「タダ飯」「タダ酒」を喰らうTVの情報番組のリポーターや一度切りの取材で消化してしまう雑誌記者による紹介(ガイド)よりは相当に説得力がある。
この「説得力」というのは、つまり、単に「オイシイ」や「オシャレ」や「コダワリ」を徒らに連呼するのではなく、人間そのものを丁寧に描いてくれているということである。
山口瞳さんの「行きつけの店」に関わる人々(主人や客)と山口瞳さん(及び山口家)との血の通ったエピソードのひとつひとつは、現代人に顕著な、お手軽な「特別誂え(刺激塗れ)の感動」追い掛け現象が愚かしく見えてくるし、「オイシイ」や「オシャレ」や「コダワリ」の響きに次から次へと乗っかる人々のことをとても「グルメ」とは思えなくなる。
人と味に惚れ込んだら、同じ店を何度も何年も通い詰め、(人と味への)絆を深めていく。
それこそが、「昭和」の時代にはあった、「美食」のたたずまいであったと顧み(省み)させてくれる。
そして、また、息子正介さんの山口瞳さんへの想いがじんわりと伝わってきて、父親(大人の男)の背中を追う(見る)ことの学びの魅力が(昭和から遠く離れた今に)甦ってくる一冊だ。
この『山口瞳の行きつけの店』では、山口瞳さんが愛したBARの名店についても幾つか書かれてあるのだが、私のようなBAR(文化)を愛する身にとって、氏が特別な存在であった(あり続けている)一端を紹介しよう。
サントリーとも深い関わりがあった山口瞳さんは、例年、成人の日に「サントリーオールド」の広告コピー(文案)を新成人にあてて手掛けていた。
以下、ある年のものである。
☆
今年は酒場のことを教えよう。
酒場へ行くなら、超一流の酒場へ行き給え。安っぽい酒場で飲むな!超一流というのは「いわゆる銀座の高級酒場」のことではない。
まず、カウンターのない酒場は失格だ。できれば、カウンターがあって、そこで立って飲ませるような酒場を選び給え。若いんだから立って飲め。
六時開店、十一時閉店という店がいい。終電までに帰れ。タクシーで帰宅するのは二十年早い。
ママさんが美人でスター気取りであるような店は避け給え。バーテンダーは無口なのがいい。
「金を払っているのだから何をしてもいい」と思っている客は最低だ。だけど超一流の酒場へ行っても怖気(おじけ)づくな。なぜならば、きみは「金を払っている客」なのだから…。正々堂々、平常心でいけ!目立ちたい一心で、隣の客に話しかけたりするな。
キチンと飲み、キチンと勘定を払い、キチンと帰るのを三度続ければ、きみは、もう、超一流の酒場の常連だ。
立派な青年紳士だ。店のほうで大事にしてくれる。
なんだ、酒場の話かと思うかもしれないが、そうじゃない。僕は新しく社会人になったきみたちに社会のルールを説いているつもりだ。大いに遊び給え、大いに飲み給え。しかし、社会のルールは確りと守り給え。
☆
山口瞳さんは、その著書『行きつけの店』の中で、銀座の名店『クール』(昭和23年に開業した銀座のBAR)の回の冒頭に御自身のこの名文コピーを(最終行「なんだ、酒場の話かと思うかも…」を除いて)引用しているのだが、息子正介さんもまた本書の『クール』の紹介に引用している(私自身、20代半ばを皮切りに、この名店に何度か足を運んだ。正統でありながら気さく。スタンディング・スタイルで、ノー・チャージ。BARが何たるかを男達に教えてくれる店で、著名人達にも愛されたが、2003年に店主の米寿を機に閉店した)。
こういうことを口にしてくれる大人(男の先輩)がいてくれて、その背中を追い、しっかりと著す次代(息子)がいる。
男が「らしく」生きられなくなってしまった今日において、1950年生まれの山口正介さんが著し留めた想いを受け止める感性(矜持)は、更なる次代にはあるのだろうかとふと考え込んでしまう。
山口正介さんの『山口瞳の行きつけの店』には、良くあるガイド本の類いのように巻末に(店の名を記した)「索引」はない。
目次にも店名はなく、4つの章が記されているだけ。順に、「回想の麻布界隈、東京都内」、「旅先での『行きつけの店』」、「そして国立」、「あれからの時の移ろい」。
山口瞳さんは麻布(当時は東京市麻布区)に生まれ育つ。母親の静子さんがなかなかに魅力的で社交的な方だったようで、多くの著名人が(静子さんを要とする)山口家に行き来していたようだ。
親戚縁者を含めて十余人で麻布の家に暮らしていたのだが、昭和30年代半ばに静子さんが急逝したことにより、一家は離散。
その少し前に「洋酒の壽屋(ことぶきや)」(現サントリー)に就職した山口瞳さんが夫人と息子正介さんと共に移り住んだのが、川崎市元住吉(東急東横線元住吉)にある社宅。
社宅には昭和39年3月まで暮らしたのだが、処女作にして直木賞受賞作となった『江分利満氏の優雅な生活』はこの日々の出来事(経験)が基となり、昭和38年に発表された。
作家一本で生きていく決意をした山口瞳さんはサントリーを退社。社宅を出た一家3人が移り住んだのは、一橋大学で知られる学園都市の東京都国立市(くにたちし)。山口瞳さんは1995年の最晩年まで国立で暮らし、街を愛し、(高倉健さん主演で映画化もされた)『居酒屋兆治』等の数々の秀作を書き残したのだった。
本書『山口瞳の行きつけの店』、第4章「あれからの時の移ろい」では、山口瞳さんがその著書『行きつけの店』で紹介したが、亡くなった後に惜しくも閉店してしまった愛する名店達を息子の正介さんが、御父上の想いを尊重しつつ、味わい深い文章で記憶と記録に留めてくれている。前述の銀座『クール』、(『居酒屋兆治』のモデルとなった)国立の焼鳥店『文蔵』もこの中に含まれる。
この一冊を図書館の書架で目にした時、「あの老舗も必ずあるはず」と想い、その場で開いて探したのが、自由が丘を代表する居酒屋『金田』。
山口瞳さんもとても愛していた名店である。
第1章の「回想の麻布界隈、東京都内」の中で、伊丹十三さんや川喜多和子さん(「フランス映画社」主宰であり伊丹氏の前妻)や向田邦子さんとの思い出を絡めた洋品店『チロル』(銀座並木通り→自由が丘)を紹介した次に、名店『金田』について書かれてあった。
「江分利満氏」とは大変縁りのある店。載るのは当然と言えば当然なのだが、意外なことに山口瞳さんの著書『行きつけの店』では「取り上げたかったが紙数の関係で候補にあがりながら、割愛された」とのことであった。
東横線の元住吉にある「壽屋」の社宅で暮らしていた山口瞳さんにとって、自由が丘と『金田』は通勤途中であった。
山口瞳さんと懇意にしていた伊丹十三さんもこの店を共に愛した。
息子山口正介さんは綴っている。
「カウンター席であるので料亭というわけにはいかないが、料理の質だけみると、高級店にも引けをとらない。居酒屋と称しているがメニューは小料理に近いか。
また、それでいてお値段が居酒屋並みというところが客にとっては嬉しいところである。
(略)
居酒屋で七十年続くというのも珍しいが三代目というのもすごい。いかにお店のポリシーがしっかりしているかだ。そしてそれを支えて喜ぶ常連客の力がある。
やれ『グルメ』だ『隠れ家』だのと、食べ歩きがもてはやされているが、こうした店に数十年、通い続けるのが、本当の美味しいもの好きだろう」。
正介さんが桐朋学園短期大学(芸術科演劇コース)を卒業した頃の思い出を綴っている。
「少し背伸びをして」友人と二人で『金田』のカウンターで飲んでいたら、父瞳さんが店内に入って来たそうである。「ギャッという仕種」をした父親。「身分不相応なところで飲んでいる息子を見つけたら、普通の父親ならば、番頭を見つけた旦那の方を演じて、とがめるような態度をするのではないだろうか」。
さて、山口家の父子はどうしたか。
それは、是非、御自身で読まれて欲しい(『金田』の記事は、「我が家の親子関係とは、つまり、こういうものだった」で締められている)。
私自身、何度か『金田』を利用させていただいているが、20代の内には足を踏み入れられなかった。男としてはまだまだ蒼く、この店にはまだ相応しくないという思いがあったのである。
初めて『金田』の暖簾を潜ったのは30代に入って程ない頃。それも、年輩に連れられての2階の座敷の利用だった。憧れていた1階カウンターは常連らしき男達で埋まっていた。だからといって、騒々しさはなく、ある種の静謐さが一瞬に伝わってきた。
以降、私もまた、その「精神」を尊重している。
あらゆるものの対象が、女性、あるいは「女のコ」に向けられ、彼女達が「オイシイ、オシャレ、コダワリ」の三点セットを追い掛け回し、「根付く文化」の灯を二の次としていく中、我々男性は惚れ込んだ店と長いスパンで付き合うといった、気まぐれな女性達とは異なるアプローチで「飲食店」との社会的絆を維持したいものだと、私見として、この頃頓に思っている。
自由が丘の街には、『金田』の他にも、「店が客を育て、客が店を創ってきた」名店がある。
それらのカウンターが、「自由が丘人」(自由が丘の街と営みを愛し続ける人々)ではなく、グルメ気取りの「食べ歩き」をステイタスとする気儘な女達や若者に姦しく独占されるようなことは想像しただけでゾッとする(更に、ネット上で無分別に好き勝手書かれた日にゃ…)。
品のある名店やオヤジ達(紳士)の聖域だった店に突然複数で出没しては、注文したものを(ケータイやデジカメで)全て撮らずにはいられないタイプの不粋が増殖している。
赤の他人に口だししては、店の雰囲気を更に汚してしまうことになるが、男達よ、連れの女性が(店のたたずまいを解さずに)無造作にそんな無作法を見せる時には、「野暮だよ。俺も同類にされて、恥ずかしくて、足を運べなくなる」と口にしてやるぐらいの気概(気位)は見せようではないか。
名店で問われるのは、己れの品位と人間力(その豊かさ)そのものなのだ(貴女が店を問うのではない)。
山口正介さんの『山口瞳の行きつけの店』は、山口瞳入門としてもお勧め出来る一冊だ。
この余韻が何ともイイ。
※今回の記事は、震災前の3月上旬に下書きしておいたものだ。
迷ったが、敢えて、更新させていただいた。
↧