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Channel: 途夢風情感
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FAREWELL[1]~「途夢待人」を顧みる~

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☆ 僕の掌に星がある 生まれたばかりの星がある 僕は これから この星をそっとこの手につつんで 遠いみちのりを歩いて行こう 暗闇に迷い、この星を落とさないように いつか この星を空に輝かせることができるように [自作「僕の星」] ☆ 私が、「途夢○待人」というHNでこのインターネット上に初めて著したのは2000年1月14日のことだった。 「WJJ(ワイン・ジャズ・自由が丘)」仲間の飲み友達(一回り年上)と自由が丘の馴染みBARのカウンターで語り合っていた時、「同世代、あるいは気が合う(同調出来る)相手としか付き合おうとしない若い世代」に危機感を抱き、ジャズやBARの魅力を大人の視点で語る場をネット上に起こそう(興そう)ということになった(友人も私も若い時分から大人としっかりと向き合い、親炙に浴したり、時には反撥したり、恥ずかしい思いをしたりしながらも、社会人としての齢を重ねていったものだが…)。 大人になる前の世代にも刺激を与えたくて、携帯電話からでも読めて、携帯電話からでも発信(更新)出来るHPとしたのだった。 最初は「WJJの世界」というおよそさえないサイト名だった。 一緒にHP作りに参加してくれるはずだった件の飲み友達は「オマエに任せた」と早々とリタイアした為、私一人のHPとしてスタートさせた次第(細密な計画書も彼に手渡していたのだが…)。 それが「途夢♪待人」名義の【ALL THAT JAZZ】である。 三日後の2000年1月17日、私は神戸の地に在った。 1995年1月17日の早朝のTVの報道に愕然とした私は、ボストンバッグやリュックに(以前に取材したこともある問屋で入手した)救援物資を目一杯詰めて、一路、神戸の街へと向かった。新幹線で行けるところまで行き、後は自転車を漕ぎ続け、深夜に被災地に入った。聾者の友人5人の安否を求めつつ、数日間だけだったが、しっかりとこの目で現状を見つめ続け、出来る限り被災者の力になろうと努めた。 その5年後の2000年1月17日、今度は仕事も兼ねて再び神戸の地に立ったのだった。復興著しい街とそうでない地を共に目撃した。 4年後の2004年同日、顧みたHP内の日記スペースの文章。 「5年後のその日、僕はやはり神戸の街にいた。人々が、街が、どう再興に向かっているのか、この目で確かめたかった。夕方、東京へ戻る新幹線の中で取材メモをまとめなから、漠然と思った。『(僕なりのやり方で)何か出来るはずだ』。その夜、エージェントとの会合もそこそこに、帰宅後、このサイトの作成にかかった。3日前に既にジャズ・サイトをスタートさせていたから、およその形を作るのには手間がかからなかった。それが、日付の変わる寸前の17日深夜だったという訳だ。 4年前、この日記スペースを始めてすぐの僕の文章は妙にハイ・テンションだ。神戸での取材メモを元にした長文原稿の締切に追われて徹夜続きだったし、神戸の余韻を引きずり続けてもいた。それは9年前の悪夢の残像でもある。僕はあのカオスを決して忘れない。あの傷みを決して忘れはしない。 今日1月17日は、祈らない僕が祈る日でもある」 2000年1月17日に、2番目のサイト、「途夢☆待人」名義【ONE FROM THE HEART】をスタート。 後発(2001年1月1日スタート)の映画サイト、「途夢★待人」名義の【銀幕に想いを…】を含め、計3つの携帯サイトを展開していった訳である。 当初は、50代に入ったらネット(HP)は卒業しようと思い、およそ10年を目処(めど)にしていた。 そうして、「途夢○待人」でのネット表現のスタートから7年後の2007年2月に遭遇したのが、この「地域(エリア)ブログ」だった。 学生時分からこよなく愛してきた街自由が丘の名もしっかりとあるではないか。 こいつはイイと思い、2007年2月20日に「途夢待人」名義のこのブログ、『途夢風情感』はスタートしたのだった。 やはり、携帯電話からの更新(メッセージ発信)という信念を一貫した。 それまでの3つのHPよりも何かと使い勝手ということもあり、多くの絆を生んだ【ONE FROM THE HEART】の日記スペースは2008年1月末の更新を最後に、ピリオドを打った。 「8周年の想い~迷霧~」と銘打った2008年1月17日付にこう著している。 「『書く』という行程は、時として苦痛が伴う。原稿用紙やキーボードに向かっている間、僕の命の時間は確実に止まっている。『擦り減っている』と表現した方が解り易いだろうか。その原稿が形として為った時に僕の命の時間は再び動き出す。だが、書いている時も孤独、形になった時もまた孤独。家族を持たない物書きは精神的に相当タフでないと務まらない。 見た目が相当に若かった僕が急速に老け始めたのはこの日記スペースを綴り始めて以降のこと。さて、このまま、続けて良いものかどうか…。この更新に費やす時間に他にすべきことがあるように思えてならない。もっと肌の温もりを誰かと直に確かめ合うようなことが出来ないものか。それこそが『書く』という表現の原点のような気がしてならない」 ジャズ・サイトで先にスタートさせていたブログも、更新手続きが面倒なこともあり、2009年の内にピリオドを打った。 以降は、「途夢待人」での、このブログの更新1本だった。 自由が丘を舞台にしたブログ『途夢風情感』。自らの著す姿勢も、読んでいただく対象も、大人(それに憧れる方)を意識してきた。 スタートさせてから4年の歳月が流れた。 HP時代を含めたら、11年超の年月となる。 いつの間にか、当初の「10年を目処に」は過ぎていた。 「歳月、人を待たず」という戒めが頭を過ぎる。 いつからか、こんな疑念が頭を擡げていた。 「俺の人生、このまま『ネットの住人』を続けていて、はたして佳い(有意義な)のであろうか」と。 人生の時間がまだまだ果てなく、そして健康な、若い時分にインターネットと出遭っていたら、その中にどっぷりと浸かり、それが当たり前となり、そういった疑念は生じなかったかもしれない。 が、今日の若い方達と私の世代の決定的な違いがある。 私は、インターネットも、誰もが気兼ねなく自由に公に表現出来るHPやブログも存在していなかった時代に、青春の日々及び一生の半分を過ごしてきた。その日々の「FACE TO FACE」の付き合い、絆。 あの確かな「温度」は一体何処に行ってしまったのか。 そう思い返したら、私はもう「ネットの住人」で在るべきではない、その必要はない、と思えるように至った。 「あの日々」を体感し、確かに記憶している私にとって、「途夢○待人」でネット上に綴り続ける必要性はなく、(私の方法論では)既に居場所は無いと(漸く)悟ったのである。 昨秋の長期入院が決定的だった。 今だから顧みられるが、命が失せることもありえた。 その時に思ったのだ。 「ネットの住人」のままに留まっているのは(私に限って言えば)間違っている、と。実際の生の瞬間瞬間でもっと為すべきことがあるのだ、と。でなければ、もはやそれは「私の命の灯」とは言えないのだ、と。 年が明けてからは、「卒業」のタイミングを見計らっていた次第だ。 ([2]へ続く) ※冒頭の詩は、1990年に書いたものだ。 足首の靭帯を断裂し、ギプス姿で入院中だった私は、想いを寄せていた女性が何度目かに見舞いに来てくれた際に(意を決して)想いを告白した。 「勿論、わかっていました」と柔らかく微笑んでくれた9歳年下のその女性は私の気持ちを受け入れてくれた。 私は(無理を言って)病室にワープロを持ち込むと、朝から消灯ぎりぎりまでその前に向かい、キーボードを打ち続けた。 入院中に迎えた彼女の誕生日の前夜に私は一篇の戯曲を書き上げた。 『I LOVE YOU BEST』というタイトルをつけ、印刷したものを病室で彼女に手渡した。 その時、巻頭に、「C嬢、22回目のBIRTHDAYに」の言葉と共に献呈の辞として寄せたのが件の詩である。 充実した、素晴らしい付き合いだった。 デートのひとつひとつ、思い出の全てがかけがえのないものだ。 私は彼女を心から深く愛したし、彼女もまた私を敬愛してくれた。 だが、生涯のソウルメイトと思えた彼女とは残念ながら結ばれず、別離した。 戯曲『I LOVE YOU BEST』は彼女の分と(いつか上演する為に)自分用に二部刷ったのだが、私用のものは友人達に貸して読んでもらっている内に紛失。何しろ、入院中に慌ただしく創った作品だったから、ワープロのメモリーにも入れていなかった。 彼女も既に処分してしまっているであろう。 渾身の想いで入院中に書き上げた、壮大なスケールの戯曲『I LOVE YOU BEST』は幻の作品となってしまった。 その女性とは、このブログでも触れたが、昨秋の女神まつりに再会した(私の幻覚でなければ)。 声はかけられず、距離を隔てての再会(目撃)だったのだけど、二人の子供にあの柔らかな笑顔を向けていた。 その幸福そうな姿を見られただけでも、私の人生は幸いである。 これからも生きていけると思えた。 彼女と出遭えて、恋に落ちることが出来た人生の奇跡に心から感謝している。 ○写真 1.ネット上においても、「言葉は心の花束」と思いながら、綴ってきた。 花束ではなく、一輪だけだが、皆さんに感謝の気持ちを込めて。 2.ハナを添えているかはわからないけれども、ブヒ子さん(舞妃鈴琴)&ラッキー嬢(山野楽喜)コンビも最後の御挨拶。 3.「待つ」日々の眠れぬ夜、枕許で開いていた一冊。 この3週間余に一度だけ足を運んだ図書館の書架で目に留まった。 詩・書・画を手掛ける文人であり、アメリカ文学者であり、タオイストでもある、加島祥造さん(1923~)による詩集(短句集)『求めない』(小学館/2007年発行)。 読んだ方の感想は以前から耳にしていたが、この時世に感じ入ること多々であった。 ひとつだけピックアップするのは難しいが、敢えて選んでみた。 「ぼくが『求めない』というのは 求めないですむことは求めないってことなんだ。 すると 体のなかにある命が動きだす。 それは喜びにつながっている。」 この困難な同時代を共に生きるこの国の青年達よ。 貴方の「体のなかにある命」は、PCやケータイを離れることが全く苦にならない程に、(主体的且つ能動的に、何よりも、情熱もて)動き出しているだろうか?

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