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Channel: 途夢風情感
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「あとがき」に代えて[1]~FOR THE LOVE OF JAPANESE~

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最後の文章(4月3日付)を一部手直しした以外は、(携帯電話からブックマークも既に外した)この場を顧みることはなかった。 本来の体調が戻らないままに、与えられた仕事を熟しつつ、被災地(東北+関東圏)通いをするという忙しない日々。 インターネットがまだ存在しない若かりし頃、東京都内だけでなく、日本のあちこちに暮らす人々を取材して回った。そのお相手と意気投合すると、その方のお宅へ民泊させていただき、地酒片手に語り明かすなんてことも何度か。何れも私よりも年配だから時経て亡くなった方もいるが、御家族も含めて、縁あっていまだに年賀状や手紙の交流を続けている方が何人も。 私にとっては、表情や体温を認識(実感)している分、インターネット上の(二次元的な)付き合いよりはより近しく、また深く、そして、昔ながらの礼節が存在する間柄とも言えるかもしれない。 今回の震災では、そんな間柄の方々も、被災されたり、亡くなったりしている。4月に入ってからその現実を次々に知り、更に打ちのめされる日々だった(ネット上でも被災していない側が常套句のように使いたがるところの「明るく元気に」とはとても軽々しく口には出来なかった)。 「3・11」以降、花見をすることもなく、ジャズ・ライヴに足を運ぶこともワインを口にすることもなく、気持ちを彼の地から決して離すことなく、自分のすべき(≠出来る)ことを粛々としてきた私は、GWにそれらの人々の許に赴き、表情や体温を確かめ合ったり、線香を供えたりしてきた。 仕事やボランティア紛いのアクトも相俟って、思うこと多々の今年の大型連休であった。 最後の更新から1ヶ月以上経ったGW明け、東京に戻ってみると、自宅の留守電に、かつての(民泊もさせていただいた)取材相手の方のメッセージが一通入っていた。 新潟県長岡市在住のその元教職にあった60代男性は、自らもまた2004年10月に発生した中越地震の被災者でもあったが、例えば大雪に見舞われると(肉体的な弱者である)お年寄り達の為に奔走して雪掻きをヘルプするという熱く優しいハートの持ち主。自然に向き合い、知性と人間性が共に豊かに含有されている、仰慕の存在でもある。 折り返しの電話をすると、相変わらず、世の為人の為に忙しく動き回っているようで不在。直接、私本人に向かって「ファン」やら「憧れの男性」と口にし続けてみせる女性達(奥様&娘さん)との楽しい会話に心和む(震災以来、初めてのそのような時間だったかもしれない)。 その夜の内に御本人から電話があり、久々に語り合う内に時間を忘れ、イイ齢したオヤジ二人が2時間超の長電話に。 会話の節々に、(家族を持たぬ)私の心身の状態を気遣う気持ちが伝わり、素敵な御一家と出遭え、歴史を刻んできたことの喜びを改めて実感していた。 その方は、ネット上の私の文章をHP時代を含め10年にも渡って読んで下さっているのだが、このブログの更新に終止符を打った後も、時折覗いてくれていたらしい。 それで知った。ブログ更新を終えた後も、アクセスしてくれている方達がいることを。 その夜、日が替わる直前に、久々にこのブログを開いてみた(携帯電話からブックマークは消していたので、HPのリンクから入った)。 成程。氏の言う通り、頻繁に更新していた頃の8割程のアクセス数になっていた。 日を改めて何度かチェックしてみたが、更新時の7割~8割の方がアクセスして下さっている。 私のブログのアクセス数なんて、人気者(著名人)のそれに比べたら微々たるものなのだけど、こういうものの価値は数字の大きさなんて二の次。 常に「人間」そのものを相手に生きてきた私の場合、自ずと、「向こうにいる人間」一人一人の呼吸や生活、精神状態に想いを馳せて(寄せて)しまう。 「私もそうなんだけど…」と前置きしてから、氏が電話口で言った。「新しい記事が更新されなくなった今、前の記事を読み返している向きもいると思うよ」。 実際、そんな言葉を何人かから頂戴してもいた。 で、思った。 今後、このブログは新しい記事を更新することはないのだけど、以前の記事を読み返して下さる方や初めて私のネット上の文章に触れて下さる方の為に、私の持ち味を分明にすべき「途夢語索引」めいたものをこのブログの巻末付録として加えておこうと。 他の(自由が丘ブログを含めた)地域ブログの書き手の皆さんが殆ど用いらないような「いかにも私らしい言の葉」達なので、「記事内容(ワード)検索」でそれらを引いていただき、新たなアプローチ(視点)でこのブログの過去記事に接していただけたらと思う次第(同じ言い回し、キーワードを用いれば、自ずと内容も似通うのは御理解されたい)。 正真正銘の最後の更新記事に設けることにする。宜しければ、活用されたい。 2011年3月11日に起きた未曾有の自然災害を機に、「人間」や「日本人」や「日本」について、色々と想いを重ねている。 この国の(被災しなかった)大人として、(「癒し」等といったものに)決して逃げずに、決して目を逸らさず、真っ当に向き合う。意味のある、(授かった)とても貴重な日々だと思っている。 直接に被災しなかった者達の多くが「以前のような」とか「普通の」と形容するところの「日常」に「戻ろう」としている。 が、是非、想像力や思考を働かせてみて欲しい。 これからの我々は新たな「普通」をこそ意識し、創り上げていかなければいけないのではないだろうか。 「以前」に戻る為に、「以前」には戻れなくなってしまった被災者に背を向けた暮らしを選ぶのではなく、絶えず気持ちを向けられる為に、より強く、より優しい一人一人に再生していく過程を(大人達が率先して)経る必要があるのではあるまいか。 想像力と思考をより深いものとしていく。 その先にこそ、この国の、我等日本人の未来、新たな価値観と意味合いを携えた「普通」が根づき、息づくのではないだろうか。 直接被災しなかった者は、日々の生活の中で、想像力と観察眼と哲学を確と携えて、より強く優しく在ろうではないか。 それこそが、この国の豊かさへと繋がる礎ではあるまいか。 GW明けに東京の生活に戻って以降、「日本」及びその「人」やその「語」について幾つか書籍を読みつつ、熟考した。 『話したい、話せない、「話す」の壁[シリーズ 日本語があぶない]』(ゆまに書房/2006年4月)という一冊は、私にとって興味深いその道(「話す」「書く」)のプロ達が執筆者となり、共鳴すること多々だったのだが、まだ存命だった久世光彦さん(演出家・作家)が、大道珠貴氏(作家)とピーター・バラカン氏(ブロードキャスター)とによる座談会の中で、私も首を傾げてきた「流行り」の奇妙な言い回しを指摘している。 いつからか当たり前のように蔓延してしまった、「元気をもらった」、「勇気をもらった」、「感動をもらった」の類い。 本来、これらは「もらう」ものではなく、自らの能動的な情動のはずだ。 現代人の「意気地」の無さというか、生きる姿勢を如実に現しているようで、抵抗なく用いる人を目の当たりにする度に「言葉が本来持つ意味合い」と遠く離れてしまった現実を見る想いだ。 元気になるのも、勇気を抱くのも、感動するのも「私」自らでいたいものだと思う。そういう暮らし向きで在りたいと願う(人任せにし、待ち受けることで満たされる人生なんて、あまりにもひ弱過ぎないだろうか)。 同じ書には、私もレファレンスとして利用している『日本語-手話辞典』(監修)と『日本俗語大辞典』(編集)の米川明彦教授による「若者ことばを考える」という考察文がある(初出『本の窓』2002年2月号からの抄録)。 著者は、「若者ことば」を「中学生から三十歳前後の男女が仲間内で、会話促進・娯楽・連帯・イメージ伝達・隠蔽・緩衝・浄化などのために使う、規範からの自由と遊びを特徴に持つ特有の語や言い回し」と定義づけているが、初出から9年後の今日の一般人のインターネット上の文章表現にもそれが顕著と思われるので、大人達にも、次代を担う若者達にも今一度考慮願いたく、米川教授の考察から引用させていただく。 現代の「若者ことば」は、1970年代以降に、次の三つの社会的背景から生じたものだという。 「第一に、『まじめ』が崩壊したこと。一九七○年代前半まで続いた高度経済成長期の日本社会は『まじめ』を価値基準としていた。しかし、オイルショックによって経済成長は終わり、七○年代後半から物質的に豊かになったことで目標を喪失し、一転して豊かさを享受する消費・娯楽社会へと変化した。このような中で、若者は消費・娯楽の手段としてことばを遊ぶようになり、以前にまして会話を楽しむために、より多くの若者ことばを生み出すようになった。 第二に、ボーダーレス社会となり、価値観が多様化したことである。『価値観が多様化した』とは聞こえがいいが、実際は価値観が個人化したまでで、簡単に言えば、自分がよければ『なんでもあり』という自己中心主義まる出しの社会になった。そこには個人の『楽』が価値基準としてある。 第三に、おしゃべり社会の出現である。テレビ番組が近年バラエティ番組、トーク番組ばかりで、おしゃべり番組となっている。最近さらにケータイが若者必需品になり、常に話し、メールを送り、その場その場を楽しく過ごそうとしている。 このような自己中心主義社会、『楽』社会の中で、現代若者ことばが生まれた」 それが(社会進出前の)若者の内だけで留まっている間はまだ良かったのだ。 大人が確と大人のままである内は。 が、成熟の場たるメディアが「若者ことば」を取り上げるばかりでなく、持ち上げたり、用いてみたり。 そして、それらを使っていた若者が社会にどんどん入り込むようになるに連れ、社会状況は変化していった。 インターネット上の言語表現が如実にそれを現している。 米川明彦教授は、すっかり市民権を得てしまった「若者ことば」によるコミュニケーションの問題点を指摘している。 「コミュニケーションとは、他者を理解し、他者からも理解されようとするプロセスであり、それはひとことで言えば『通じ合う』プロセスである、と私は考える。『通じ合う』ためには相手を理解し、相手からも理解されようとする心と努力が必要である。ところが、若者は『楽』社会の自己中心主義にどっぷり浸かっているため、他者を思う心が欠如し、面倒な努力を嫌う傾向にある。また、関わり合うことを嫌う。この点から、若者ことばは『通じ合う』ためのことばではなく、自己満足のためのことばと言える。 また、自己中心主義は『聞く』ことを嫌う。『聞く』は単なる受動的、聴覚的受信行為ではなく、能動的理解・解釈行為であり、自己を高める行為でもある。ここ二十年、授業中に私語が止まないのは『聞く』ことを忘れた、『通じ合う』ことを拒否した自己中心主義社会の出現と密接に関わっていると考える」 インターネットでは「伝え合う」という言語運用が飛び交っている。 が、その成熟の為には、米川教授がこの一文の結びにしているように、言語意識と対人意識を含んだ「通じ合う」ことこそが、「より根本的であり、重要」なのだろうと私も思っている。 インターネット上に「居を構える」方々、特に「充分に大人」である存在には、改めて一考願いたい。 インターネットで文章表現をする以前(未熟な青年期)の我が身の「公(社会)における文章表現」の記憶を呼び起こし、齢重ねた今の我が身のそれと照らし合わせてみて欲しい。 この国の次代を担う若者達に対して、どういう大人で在れるかの哲学も含め。 ([2」へ続く)

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